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「三食ごはん」が帰ってきた!ささやかな幸せで癒しの時間

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「孤立」を「ヒーリング」に変貌させたナ・ヨンソクPD

 

韓国で数々の人気バラエティ番組を生み出したナ・ヨンソクPD。これまでも視聴者を虜にする企画を制作しては高視聴率を叩き出してきたが、次期プログラムをどのようなものにすべきか、ナ・ヨンソクPDは大きな課題を抱えていた。

 

全世界を脅かしているコロナウイルスによって、選択の幅を狭められたからである。「ユン食堂」、「花より青春」、「花よりおじいさん」「新西遊記」など旅行をコンセプトとするプログラムは、状況が状況だけに実現が困難になった。しかし幸いにも、ナ・ヨンソクPDの切り札とも言える「三食ごはん」が残っていたのだ。

 

「三食ごはん漁村編5」は初回から9.2%という高視聴率を記録し、ナ・ヨンソクPDの力量を示した。チャ・スンウォンとユ・ヘジンの夫婦キャラクターに、お手伝い役のソン・ホジュンが加わったことで、魅力的なメンバー構成となったからだ。2014年「三食ごはん」のスピンオフにしようとした漁村編はなんと13.3%の高視聴率を記録した。したがって翌年にはシーズン2が放送された。しかしその後、シーズン3と4ではイ・ソジン、エリック、ユン・ギュンサンが出演し、オリジナルメンバーの姿を見ることはできなかった。代わりに、チャ・スンウォンとユ・ヘジンは「スペイン下宿」で活躍することになったのだ。そのため、5年ぶりに帰ってきた漁村編への期待は高まるばかりだ。

 

「三食ごはん漁村編」で欠かせない楽しみの要素の一つは、晩才島(マンジェド)という島である。この島で生きていく人々や、近所を走り回る犬が温かさを演出してくれるからだ。何よりも、毎回張り切って釣りに行っても手ぶらで帰ってくるユ・ヘジンを助ける漁師や、たまに買い食い目的で訪れる晩才スーパーで感じられる懐かしさが「三食ごはん漁村編」特有の情緒を作ってくれた。

 

しかし今回は、コロナウイルスの影響により 晩才島(マンジェド)ではなく、無人島の竹窟島(ジュクグルド)で撮影された。 晩才島(マンジェド)住民が恋しいものの、この時局に多くの撮影チームが入るのは迷惑になる。しかし、住民がいないこの島ば、ユ・ヘジンが走って戻ってきても11分しかかからないほどの小さな島である。通常期であれば、孤立したイメージのある場所だった。

 

しかし、この孤立した場所は他ならぬ島である。眺めるだけで胸がすっと晴れるような海をいつまでも見ることができる。マスクを使わずに散歩することができる空間であるという点は、コロナウイルス危機の中で「孤立」を「ヒーリング」に変貌させたとも言える。自然がありのままで生きている場所で、気の合う人との特別なことをするよりは、ただ平凡な日常を送る姿を見せることができる。コロナウイルスの息が詰まるような空気の中、大きな癒しを与えてくれることだろう。

 

島に到着すると、メンバーたちは誰の指示がなくとも、自らできることを見つけては動く姿を見せた。チャ・スンウォンはカクテキとキムチを漬け、ユ・ヘジンは薪を集めて火を起こし、ソン・ホジュンは懸命にサポートした。無人島であるため、必要なものを買うことができる場所はないが、製作陣が事前に用意しておいた「三食ハウス」には、三食ごはんを作り食べても余るほどの食材や調味料はもちろん、お菓子まで十分に揃っている。家のすぐ隣に設けられた家庭菜園には野菜があり、米も豊富にあるため何の問題もない。

 

特別ではない日常が与えてくれる幸せ

 

しとしと降り注ぐ雨の中、ぴったりのすいとん昼食にしたり、海辺で獲ったアワビで作ったアワビ粥、味噌汁、もやしご飯を食べるというささやかな贅沢。かまどに火をつけ、暖かくなった部屋で横たわってビールを飲みながら会話を楽しむ姿を見るだけでも、気分が良くなるようだ。

 

もちろん、順調でない日もある。仕掛けた網には魚一匹もなく、前日に撮ったアワビもなぜか見当たらない。しかし、なければないで、彼らの三食ごはんは豊かな雰囲気さえ感じさせてくれる。たっぷり獲ってきたカメノテをククスに入れて食べ、夜には収穫がなかった代わりに、さつまいもとじゃがいもを茹でたり焼いたりして食べる。さつまいもとじゃがいもを食べるというささやかな夕食であったが、ユ・ヘジンは、まるでレストランのシェフがステーキの注文を受けるかのように「ウェルダンで」だとか「ミディアムレアで」と冗談を交える。そのせいか、皿に乗せたさつまいもとじゃがいもサツマイモとキムチは、まるでレストランで食べるステーキのように美味しそうに感じられる。

 

何もなくても心構えによって、その状況が全く違うものになるという点が視聴者を共感させる。コロナウイルスにより、ほとんどの時間を家で過ごさなければならない状況にストレスや息苦しさを感じる人が多い中、彼らと共にする、特別ではないささやかな日常がどれだけ大切であるかを改めて感じさせてくれる。